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大阪高等裁判所 平成元年(ラ)28号 決定

主文

原決定を次のとおり変更する。

別紙物件目録記載の土地上における別紙工事目録記載の奈良県食肉流通センター建設工事につき、相手方らは、平成二年二月末日まで(同日までに、抗告人と相手方ら間の同建設工事についての話し合いが合意に達した時には、その時まで)、同工事目録二の(一)及び(二)の(1)ないし(3)、(5)ないし(8)記載の建物の建設工事を除く(但し、相手方財団法人奈良県食肉公社の関係では、同目録の(二)の(4)記載の建物の建設工事も除く)その余の建設工事を続行してはならない。抗告人のその余の申請(当審における拡張部分を含め)を却下する。

手続費用は、原審及び当審とも、相手方らの負担とする。

理由

第一  抗告の趣旨

抗告人は、「原決定を取り消す。相手方らは、抗告人との話し合いが合意に達するまで、別紙物件目録記載の土地上において、別紙工事目録記載の奈良県食肉流通センター建設工事を続行してはならない。」との裁判を求めた(なお、別紙物件目録26及び27記載の土地上における工事につき続行禁止の仮処分を求める部分は、当審における申請の拡張にあたる。)。

第二  当事者双方の主張

一  抗告人の申請の理由

1  当事者

(一) 抗告人は、相手方らが別紙物件目録記載の土地(以下「本件予定地」という)に建設を予定している、統合と畜部門と流通部門を併せ持つ「食肉流通センター」(以下「本件センター」という)に反対する目的をもって、昭和五七年二月二〇日に結成され、運営規約を有し、定期総会及び常任委員会を意思決定機関とする権利能力なき社団である。

(二) 相手方奈良県食肉公社(以下「相手方公社」という)は、本件センターの事業主体として昭和六一年三月一〇日に設立された財団法人であり、また、相手方奈良県(以下「相手方県」という)は、相手方公社の委託を受けて本件センターの建設工事を行っている。

2  本件センター建設計画の概要と抗告人の反対運動

(一) 相手方らは、奈良県内にある既存五か所のと畜場が老朽化し、非衛生的であることを理由に、これらの施設を廃止して本件予定地に別紙工事目録記載の工事(以下「本件工事」という)をすることによって本件センターを建設することを計画し(以下「本件計画」という)、これを推進している。

(二) 本件計画には、地域の教育環境や遊水池を破壊し、あるいは公害を発生させるなどの根本的な問題があったため、抗告人は、結成以来、一貫して本件計画の白紙撤回を求めて、署名活動、抗議デモ、宣伝活動等の広範かつ多様な住民運動を展開してきた。

3  被保全権利

(一) 抗告人と相手方県は、相手方県の申し入れにより、昭和六一年九月一六日から昭和六二年一月二一日までにかけて五回の話し合いをもち、相手方県から本件計画の実施を前提とする種々の提案がなされたが、抗告人は、相手方県が住民の主張や指摘に誠意をもって答えよ、工事継続の中での話し合いはできない、計画に対する同意はできない旨の回答をして物別れとなり、相手方らは同年二月本件工事の基礎工事を開始し、抗告人は前記のような反対運動を続けていた。

(二) ところが、昭和六二年六月になって、相手方県は抗告人に対し従前の相手方県の本件計画の実施に関する姿勢につき謝罪の意思を表明したうえ、再度話し合いを申し入れたため、抗告人は、誠実な話し合いと話し合い継続中における建設工事の中止を書面によって約束するよう求めたところ、相手方県は抗告人に対し、同月一二日農林部長名の別紙四の文書(以下「本件申し入れ書」という)をもって申し入れをし、抗告人は、これに対し同月一七日別紙五の文書(以下「本件回答書」という)をもって、右申し入れは相手方公社も相手方県と同一の立場に立つこと及び一方的に話し合いの打ち切りを行わないことの二つを条件として、右申し入れを承諾する旨回答したところ、同日(もしくは同月二〇日)相手方らは抗告人の右二つの条件についても同意した。

したがって、抗告人と相手方らとの間には、昭和六二年六月一七日(もしくは同月二〇日)、本件計画について抗告人と相手方ら双方が誠意をもって話し合いを行い、合意に達するまでの間、相手方らが本件工事を中止する旨の契約(以下「本件契約」という)が成立した。

4  話し合いの経過と相手方らの契約不履行

(一) 抗告人と相手方らは、本件契約に基づいて、昭和六二年六月二〇日を第一回とし昭和六三年四月七日の第二二回まで話し合いを継続した。

(二) 抗告人は、右話し合いの当初において、相手方らに対し、抗告人は本件計画の白紙撤回を求める立場をとり、他方相手方らは本件計画を是非に推進したいとの立場をとっていて、双方の立場が基本的に食い違っていることの確認及びタイムリミットを理由にして話し合いを打ち切らないことの確認を求めるとともに、話し合いの討議問題として、用地選定問題、治水問題(本件予定地の遊水地機能問題)、教育環境問題、経営問題及び公害問題の五項目についての話し合いとその資料の提供を求めたところ、相手方らもこれらを了承した。

(三) しかし、相手方らは、昭和六三年四月八日、右五項目のうち、用地選定問題及び治水問題についての論議も未了であるうえ、他の問題については全く論議がなされていないのに、相手方県の農林部長名の文書をもって、同月一一日から本件工事を再開する旨通告し、同日から本件工事を再開するに至った。

(四) 相手方らの右工事再開は、本件契約において、相手方らが抗告人に約束した「誠意をもって話し合いを進める」との合意にも、「合意に達するまで本件工事を中止する」との合意にも違反するものであったから、抗告人は、同日、相手方県に対し、右工事再開通告に抗議するとともに、約束を守って工事の再開をやめ、誠意をもって話し合いを続けるよう申し入れたが、相手方らは右申し入れに応ぜず、本件工事を続行している。

5  保全の必要性

抗告人は、本件契約に基づく本件工事の差止めを請求する本案訴訟の提起を準備中であるが、相手方らは本件工事の早期完成を期して工事を続行しているので、同訴訟の判決を待っていては本件工事が完成して本件契約に基づく差止め請求権が無に帰してしまうおそれがある。

6  よって、抗告人は、本件契約に基づく差止め請求権を被保全権利として、本件仮処分を申請したが、原決定は不当にもこれを却下したので、抗告の趣旨のとおりの裁判を求める。

二  申請の理由に対する相手方らの答弁

1  申請の理由1(一)のうち、抗告人が権利能力なき社団であることは争う。

抗告人の規約によると、抗告人は筒井地区連合会を構成している一一自治会を含むわずか一三自治会を構成員とし、その存立目的も限定的で永続性に乏しいものであるうえ、その実体が日時の経過とともに変化していることなどからすると、団体としての組織が充分に確立されておらず、関係自治会からの独立性が不十分であるから、独立の社団とはいえない。

同(二)の事実は認める。

2  同2(一)の事実は認め、同(二)の事実は争う。

3  同3(一)のうち、相手方県が抗告人に対し昭和六一年九月一一日から昭和六二年一月二一日までにかけて五回にわたり本件計画に対する協力要請及び提案を行ったこと、相手方らが同年二月本件工事を開始したことは認め、その余の事実は争う。

同(二)のうち、相手方県が昭和六二年六月初め抗告人に対し話し合いを申し入れたこと、相手方県が昭和六二年六月一二日付の本件申し入れ書をもって抗告人に話し合いの申し入れをし、抗告人がこれに対し同月一七日本件回答書による回答をしたことは認め、その余の事実は争う。

4  同4(一)の事実は認める。

同(二)のうち、話し合いの第一回において、相手方らが双方の基本的な立場が異なること及びタイムリミットを理由に話し合いを打ち切ることはしない旨回答したことは争わない。また、話し合いの当初の段階で、抗告人から抗告人主張の五項目にわたる問題点の指摘があったこと、相手方らが右五項目についての資料の提出を了解したことは認めるが、右五項目の全部について話し合いの対象とすることまで了承したことはない。

同(三)のうち、相手方県が抗告人主張の時期にその主張の文書をもって工事再開通告したことは認め、その余の事実は争う。

同(四)のうち、相手方らの本件工事の再開が本件契約の合意事項に違反することは争い、その余の事実は認める。

5  同5のうち、相手方らが本件工事を続行していることは認め、その余は争う。

三  相手方らの主張

1  本件契約の成否

(一) 本件申し入れ書は、相手方県が抗告人の要望に応じて抗告人に呈示した別紙一の文書を基本にしながら、抗告人の希望によってその全体的な趣旨を損なわない範囲内において多少の修正を加えて作成された文書であり、その本来の趣旨及び性質は、一定の法律効果の発生を意図した意思表示というよりは、抗告人との話し合いに臨む相手方県の決意もしくは基本的な考え方を表明したにとどまるものであった。従って、本件申し入れ書に対応して抗告人から何らかの回答書が寄せられるとは予想していなかったし、仮に抗告人から本件回答書が寄せられたことにより、相手方らと抗告人との間に何らかの意見もしくは方針の一致があったとしても、その合致により法的な契約の成立するものではなく、単に双方が話し合いに臨む基本的な態度を互いに披露し合うとともに、「円満な解決」という話し合いの基本的な目的を確認し合った、いわば紳士協定的な申し合わせが成立したにすぎない。

(二) 仮に本件申し入れ書と本件回答書が法的な意思表示であったとしても、次の理由により、抗告人主張の本件契約は成立していない。

(1) 本件申し入れ書は相手方県において契約締結権限を有しない農林部長がその名で作成した文書であるが、同農林部長は本件申し入れ書に記載された条項を内容とする契約締結について相手方県知事から権限の委任を受けたことはない。従って、相手方代表者である知事の記名押印のない本件申し入れ書は、地方自治法第二三四条第五項の規定により、その効力がない。

(2) 本件申し入れ書に対する本件回答書は、抗告人主張のような条件付きのものであったから、相手方県の本件申し入れ書による意思表示と抗告人の本件回答書によると意思表示との間には意思表示の合致がない。

2  本件契約の趣旨とその失効

仮に本件申し入れ書と本件回答書の交換により、抗告人と相手方らとの間に本件契約が成立したとしても、本件申し入れ書及び本件回答書の全体の趣旨及び当事者の合理的な意思解釈からすれば、本件申し入れ書中本件契約部分は、契約の当事者が円満な解決に向けて真摯に話し合いを続けている間に限って効力を有するという期限付きであり、少なくとも相手方らが相当な期間誠意を尽くして話し合いを行い、合意に達するよう努力したにもかかわらず、抗告人のかたくなな態度により理解が得られず、それ以上話し合いを続けてみても合意が得られる見込みがないときには、その効力を失う、との趣旨のものと解すべきである。

しかるところ、相手方らは、昭和六二年六月二〇日から昭和六三年四月七日までの間二四回にわたり、抗告人との間に話し合いをもち、抗告人主張の五項目につき抗告人の要求に応じて数々の資料を提出し、質疑にも応じ、抗告人が懸念している事項についてはできる限りの配慮をして対策を用意していることを説明し、さらには新たな対策を提案するなど、相手方らとしてなすべきことはすべてなしたが、抗告人は相手方らの責任追及に終始し、一向に建設的な意見の交換や対案の提示等をしないまま一〇か月が経過し、そのうえ昭和六三年三月二七日の抗告人の第一三回総会において、従前以上に明確に、本件計画は白紙撤回以外にない旨の総会決議をして本件計画に対する態度を明確にしたため、相手方らがどのように努力しても抗告人との間に合意を成立させることが不可能であることが明白となった。そこで、相手方らとしては、政治上・行政上の責務から、これ以上本件工事を中止しておくわけにはいかないため、同年四月七日に本件工事の再開通告をしたのであって、相手方らには、本件契約の前記趣旨に照らし、契約に違反する点はない。

3  本件契約の詐欺による取消

相手方県は、抗告人に対し当初提示した別紙一の文書による六項目提案において、本件計画の推進を前提として、相手方県としての話し合いに臨む基本的な姿勢及び事態収拾のための具体的な提案をしたところ、抗告人は、相手方県の右六項目提案を出発点として話し合いに応ずる態度を示し、「話し合いをすれば解決できないことはない。」「最終的には県の方に歩み寄る姿勢は考えている。」などと発言していたものであるから、抗告人がそもそも本件計画の白紙撤回しか考えていなかったとすれば、抗告人は、右のような態度及び言動により、相手方らに、抗告人が近い将来本件計画に同意する用意がある旨誤信させて、本件申し入れ書による意思表示をさせたものというほかはない。

従って、相手方らは、昭和六三年一〇月七日抗告人代理人が受領した相手方らの同日付準備書面をもって、本件申し入れ書による意思表示を詐欺によるものとして取り消した。

4  権利濫用

仮に本件契約が、抗告人主張のとおり、相手方らは抗告人と相手方らとの間に合意ができないかぎり本件工事をすることができないとの趣旨であったとしても、抗告人が本件契約を理由に本件工事の中止を要求することは権利の濫用である。

すなわち、抗告人及びその構成員らは、本件工事の続行によって、主観的にはともかくとして、客観的には格別の不利益を受けないところ、抗告人と相手方らはすでに二四回も話し合いをし、相手方らは抗告人の指摘する問題について誠意をもって資料を提供し、説明をしているのに対し、抗告人は、本件契約により話し合いが形式的に続いてさえいれば相手方らにおいて本件工事を再開することができず、事実上本件計画の白紙撤回を要求する自己の主張を貫徹できるとの立場を悪用し、いたずらに無理難題を持ち掛けたり、円満解決のための具体策とは関係のない不毛の議論を蒸し返したりして、無際限に話し合いを引き延ばしながら、相手方らに対し一方的に本件契約の履行を要求し、それによって相手方らに対し甚大な損失を被らせるとともに、大多数の奈良県民が待望している本件計画の完成を妨げているのであって、抗告人の本件工事の中止要求は権利の濫用として許されない。

5  本件工事の完成

抗告人の主張する別紙工事目録記載の各建物の建設工事は、同目録二の(二)(4)の検査棟を除き、付帯工事を含めて平成元年三月三一日までにすべて完成し、場内の舗装工事を残すのみとなった。従って、既に完成した建物の建設工事についてはもはや差止めの余地はない。

なお、建設工事未着工の右検査棟の建設は本件計画の全体計画には含まれているが、相手方県が独自に設置するもので、相手方公社から建設の委託を受けた工事には含まれていない。

6  保全の必要性

抗告人が本件工事の続行禁止を求める本件仮処分を却下されることによって受ける損害はほとんどないが、相手方らが本件仮処分が認容されることによって被ることが予想される損害はまことに甚大であるから、抗告人には本件仮処分によって防止しなければならないところの民事訴訟法第七六〇条所定の「著しい損害」はないので、本件仮処分につき保全の必要はない。

すなわち、本件仮処分申請が却下されて本件計画の遂行により本件センターが建設されても、本件センターには抗告人主張のような問題点はないし、本件センターの経営問題や教育環境の破壊については抗告人やその構成員の権利や利益と直接に関係しないから、抗告人やその構成員には何らの損害も生じない。他方、本件計画は相手方県の長年の重要施策であり、奈良県民の代表機関である奈良県議会は全会一致でもって本件センターの建設促進決議をし、また関係市町村も建設促進決議をしている状態であり、本件計画の中止または遅延は奈良県民の負託に答えられないことを意味するのみならず、本件計画の中止または遅延は相手方らが本件計画のために費やした二〇数億円の資金を無駄にし、さらに工事請負業者に対する補償等の新たな多額の金銭負担の原因となるのみならず、老朽化した既存のと畜場の利用による公害の発生や奈良県民に対する安全で適正な価格の食肉の供給体制への支障、食肉業者の経営危機など、多方面に甚大な悪影響を与えることは必至である。

従って、本件仮処分の許否による抗告人と相手方らとの間の利害得失を考慮すると、本件仮処分が認容された場合の相手方の被る損害は、抗告人が本件仮処分を却下された場合の比ではないから、本件仮処分についてはその必要性がない。

四  相手方らの主張に対する抗告人の反論

1  本件契約の法的性質等の主張について

本件契約が法的拘束力を有する契約であって、単なる紳士協定でないことは、相手方県が本件申し入れ書による意思表示をするまでに、抗告人の要求を受けて三度にわたってその字句等を訂正していることなどの右意思表示に至るまでの経緯及び本件申し入れ書の表題に「申し入れ」とあることより明らかである。

そして、本件申し入れ書が相手方ら代表者の了解を得た上で抗告人に提出された文書であることは、相手方らにおいて、相手方県が農林部長清水徹名の本件申し入れ書をもって話し合いの申し入れを行った事実を答弁書で認めていること及び同知事(相手方公社の代表理事でもある)は昭和六三年二月二〇日の話し合いの席上において同知事自身の判断で本件申し入れ書による申し入れをした旨の発言をしていることから明らかであって、相手方県の同農林部長(相手方公社の理事でもある)が相手方らの代表者の委任を受けて、抗告人との間に本件契約を締結したものである。なお、財務と直接関係しない本件契約には地方自治法第二三四条五項の適用はない。

また、相手方県が本件申し入れ書によってした意思表示と抗告人が本件回答書でした意思表示とは本件契約の範囲で完全に一致しているから、双方の意思表示の合致により本件契約は成立した。仮に本件回答書が相手方ら主張の条件付きであったため新たな契約の申し込みであったとしても、相手方らはこの申し込みを承諾して昭和六二年六月二〇日以降の話し合いを行っているのであるから、本件契約は有効に成立した。

2  本件契約の効力の存続期間等の主張について

本件契約においては、相手方らの本件工事中止義務の存続期間あるいは消滅時期について「合意に達すること」以外の定めはないから、相手方らの右義務の失効に関する主張を容れる余地はない。

そして、仮に相手方ら主張のように本件契約が真摯に話し合いを続けている間に限って効力を有するというのであれば、本件の相手方らのように「誠意をもって話し合いを行う」こと約しているのに、約束に反して一方的に話し合いを打ち切るという背信行為をした場合にも、期限が到来して本件契約が失効してしまうこととなり、あまりにも不合理な結果となるから、そのような解釈は到底容認できない。

また、抗告人と相手方らの話し合いは、前記五項目のうち用地選定問題及び治水問題について一定の話し合いがなされたものの、未だ十分とはいえず、教育環境問題、経営問題及び公害問題については全く話し合いが行われていない段階であって、相手方らが相当な期間誠意を尽くして話し合いを行ったとは到底言えない状態であった。このような状態において、相手方らは一方的に話し合いを打ち切って本件工事を再開したものであるから、相手方ら主張の失効の要件すら満たしていない。

3  本件契約の詐欺による取消の主張について

抗告人は相手方らに対し、抗告人が本件計画に対し白紙撤回を要求している立場にあって、本件計画の推進を図ろうとしている相手方らとの間には基本的な立場の相異があることにつき、本件契約締結の交渉段階から明確に態度を表明していたものであって、相手方ら主張のような事実はない。

4  権利濫用の主張について

責められるべきは本件契約に違約した相手方らであって、抗告人が本件契約の遵守を要求することが権利濫用にあたるものでないことは明白である。なお、本件計画には治水問題、教育環境問題、公害問題等の種々の問題があるのであって、本件計画の完成が奈良県民の利益になるものではない。

5  本件工事の完成の主張について

本件工事が未だ完成していないことは、相手方らが、平成元年二月二一日の時点において、本件計画にかかる事業が平成元年三月三一日までの施工期間内には完成しないとの予測の下に、右施工期間を二年間延長する措置をとっていることから明らかである。また、相手方ら主張の建物についての建設工事が終わったとしても、別紙工事目録二の(二)の(9)ないし(13)の付属設備に関する工事は未だ完成しておらず、特に営業用進入道路に至っては用地の一部につきその確保の目途すら立っていない。

従って、本件工事につき現時点において差止めの余地がないとの相手方らの主張は失当である。

6  保全の必要性に関する主張について

相手方らの本件仮処分の必要性に関する主張は全く的外れであって、相手方らがこのまま本件工事を続行して本件工事が完成した場合には、本件契約に基づく差止め請求権は無に帰し、回復不能の状態になることは明らかであるから、本件仮処分の必要性の存在することは明白である。

第三  当裁判所の判断

一  本件疎明資料によれば、次の事実が認められる。

1  相手方県は、昭和五三年ころより、奈良県下の既存のと畜場(当時六か所)がいずれも小規模で老朽化し、かつ環境衛生上の問題を抱えていたため、既存のと畜場を整備統合して食肉の安定供給と流通の合理化等を図る目的で、と畜部門と流通部門を併せ持つ本件センターの建設を内容とする本件計画を立案・推進し、昭和五七年初めころ本件センター建設用地として大和郡山市丹後庄町において本件予定地のうち別紙物件目録記載1ないし25の土地を買収し、昭和六〇年四月には仮設進入路工事に着手し、昭和六一年九月には同土地についての土木造成工事を終えた。

相手方公社は、昭和六一年三月一〇日、相手方県の寄付行為により、本件センターの設置及び運営管理の事業等を営むことを目的として設立された財団法人であり、同月二八日には相手方県から「大和都市計画と畜場及び市場事業奈良県食肉流通センター」につき事業許可を受け、その後相手方県に別紙工事目録記載の建物(ただし、別紙工事目録二の(二)(4)記載の検査棟を除く)の建設工事、その他の付帯工事を内容とする本件センターの建設工事を委託した。なお、右検査棟は相手方県において食肉衛生検査所として使用する目的で本件予定地内に建設を予定している建物である。

2  抗告人は、昭和五七年二月二〇日、本件センターの建設反対運動の推進を目的にして、本件予定地の付近住民などによって結成され、規約により代表の方法、総会の運営等が確定している権利能力のない社団である(なお、規約に若干の変動があるが、変動の前後を通じて社団としての同一性を失っていない。)が、その結成以来、〈1〉相手方県が地元の同意なしに用地の選定・買収する等、住民の理解を得ないまま本件計画を進めたこと(用地選定問題)、〈2〉建設予定地は、盲ろう学校やその寄宿舎・母子寮に接し、付近には保育所、幼稚園、小学校のある文教地域であり、教育環境に重大な悪影響を及ぼすこと(教育環境問題)、〈3〉建設予定地は古来から大和川、佐保川流域の治水上重要な役割を果たしてきた遊水地の機能を有する地帯であって、ここに本件センターを建設して遊水地を破壊すると水害の危険があること(治水問題)、〈4〉本件センターの運営により悪臭・騒音等の公害の発生が予測されること(公害問題)、〈5〉本件センターの経営により毎年約二億円の赤字が生じ、税金の無駄遣いとなること(経営問題)を理由に本件計画に反対し、その白紙撤回を求める運動を強力に展開し、現在に至っている。

3  相手方県は、抗告人の本件計画に対する反対運動に対し、本件計画につき地元住民の理解を得るため、昭和六一年九月ころから昭和六二年一月ころまで合計五回にわたって抗告人と交渉したが、抗告人が本件計画に同意せず、かつ、建設工事続行中での話し合いはできないとの意向であったため、結局右交渉が実を結ばず、相手方県は、同年二月、本件工事に着手した。

4  ところで、相手方県においては、知事が本件計画の実現を県民に公約し、議会も本件計画の促進決議や本件センターの建設予算の承認などにより本件計画を支持してその促進を求め、しかも既に用地の取得等に巨額の資金を投入していたため、本件計画を白紙撤回するということは全く考慮する余地がなく、本件センターを計画どおり本件予定地に建設する方針であったものの、本件計画の実質的な責任主体としては、地域に適合した円滑な本件センターの運営を実現するためには地域住民の理解を得ることが不可欠との判断のもとに、昭和六二年五月、抗告人との話し合いを再開する方針を決め、同月二六日抗告人の代表者らの幹部との間に右話し合いについての事前交渉をし、その席上、相手方県は、本件計画をこのままの形で遂行した場合将来に禍根を残すのみであるから、話し合いを重ねて円満な解決を得たい旨の基本的な考えを示し、これに対し、抗告人は、話し合いを行うには建設工事を中止すること及び再度抗告人と話し合いに臨むに際しての相手方県の考えを文書で呈示することを相手方県に要求した。

そこで、相手方県は、別紙一の「再度、反対期成同盟と話し合いに臨む県としての考え方」と題する書面を抗告人に示したが、同年六月一一日抗告人からの削除・修正要請によって別紙二の書面を作成して抗告人に提出し、ついで同月一二日には、抗告人は「考え方」を「申し入れ書」へ変更することなどの修正を要求したため、相手方県は右要求を入れ、別紙三の書面、さらには本件申し入れ書を作成して提出し、結局抗告人は同日本件申し入れ書を受領した。

抗告人は、相手方県が本件計画を計画どおり推進することを前提に話し合いを申し入れてきていることを十分承知していたが、相手方県が話し合いの継続中の本件工事を中止するのであれば、相手方県との話し合いの中で本件計画の問題点を指摘し、広く県民世論に訴えることができ、本件計画の白紙撤回の実現を目指してきた従来からの抗告人の運動にとって必ずしも不利益ではないとの判断から、相手方県からの本件申し入れ書による話し合いの申し入れに応ずることとし、本件申し入れ書に対し、同月一七日、本件回答書をもって、相手方公社が相手方県と同じ立場であること及び互いに一方的な話し合いの打ち切りを行わないことを確認することを条件に、相手方県の話し合いの申し入れを受諾する旨の回答をし、そのころ相手方らは抗告人の呈示した右条件を承諾した。

なお、抗告人との以上一連の交渉は相手方らについては、相手方県のなかで本件計画の立案実施を所管業務としていた農林部の部長の地位にあり、かつ相手方公社の常務理事の地位にあった清水徹が中心となってし、本件申し入れ書は同農林部長名でなされ、本件回答書も同農林部長宛でなされたが、同農林部長が抗告人との間に右交渉をなすこと及び本件申し入れ書をもって本件申し入れ書記載の申し入れをし、抗告人との間に同旨の合意をすることについては、相手方らの代表者である相手方県の知事(相手方公社の代表理事を兼務)はこれを承知し、同農林部長にその名において相手方らを代表することも含めて委任していたものであった。

5  以上の経過を踏まえて、相手方県は本件工事を中止し、同月二〇日抗告人と相手方らとの話し合いが開始され、その際、抗告人は、抗告人が本件計画の白紙撤回を要求する立場にあるし、相手方らが本件計画を推進するの立場にあって、双方の立場は基本的に食い違っているが、タイムリミットを理由に話し合いを打ち切らないことの確認を求めるとともに、〈1〉用地選定、〈2〉治水、〈3〉教育環境、〈4〉公害、〈5〉経営の前記五項目の問題に関連して本件計画の具体的な内容についての資料の提供とその説明を要求し、相手方らはこれらを了承した。

右話し合いは、その後昭和六三年四月七日までのおおよそ九か月の間に、二二回にわたり(ほかに現地説明二回が行われた)両者が一堂に会して開催され、相手方県が提示した資料の説明とそれに関する質疑・応答・議論が繰り返された。

右話し合いには、抗告人側は代表者を含む一〇〇名前後の者が、相手方らは相手方県の農林部長(相手方公社の常務理事を兼務)及び食肉流通センター室長、相手方公社総務課長ら一〇名前後が出席するのが通常であったが、相手方県の知事(相手方公社の理事長を兼務)も二度にわたって出席し、本件計画の推進にあたって地元住民に対する配慮に欠ける点のあったこと等につき遺憾の意を表明するとともに、本件計画についての協力を要請するなどした。

6  しかし、右話し合いは、抗告人と相手方らとが本件計画に対し全く相容れない立場をとっていたことに加え、それまで長い間鋭く対立してきた経過などがあったため、抗告人の相手方県に対する糾弾や謝罪要求的な発言や議論に多くの時間がとられ、また抗告人において相手方県の説明に耳を傾ける姿勢に欠けたため、いたずらに時間を費やすばかりで、話し合いの回数を重ねても前記五項目のうち〈1〉及び〈2〉の項目についての具体的な説明と質疑応答がなされたのみで、〈3〉ないし〈5〉の項目については具体的な説明等をなすまでに至らなかったことから、抗告人との話し合いのための期間(それは、また相手方らにとっての本件工事の中止見込み期間でもあった)として数か月程度しか見込んでいなかった相手方らは、このまま抗告人との話し合いを続け、その間本件工事を中止していては本件センター完成の目途が立たなくなるとの考慮から、昭和六三年二月には、相手方県の知事(相手方公社の代表理事でもある)が抗告人との話し合いの場に出席し、本件工事を再開し、工事を続けながら抗告人との話し合いを継続して本件計画に対する理解を得、その運営等につき抗告人の意見を汲みたい旨本件工事再開の要請をし、抗告人から強く反対されたが、同年三月二七日に開催された抗告人の総会において、本件計画の白紙撤回以外に解決の道はない旨の従来どおりの抗告人の立場を確認する決議が採択されるに至ったため、相手方らはそれまでの多数回に及ぶ話し合いにもかかわらず抗告人の姿勢には全く変化がなく、抗告人との間にこれ以上話し合いを継続しても本件計画に同意する方向での合意の見込みはないものと判断し、抗告人の了解が得られないまま、同年四月八日抗告人に対し本件工事の再開を通告し、同月一一日本件工事を再開した。

7  そこで、抗告人は、相手方県が抗告人との話し合いにつき合意が成立していないのに一方的に本件工事を再開したとして抗議し、本件工事の中止と話し合いの継続の申し入れをする一方、同年七月一三日奈良地方裁判所に本件工事の続行禁止を求める本件仮処分申請をしたが、同年一二月二一日、本件仮処分申請につき被保全権利の疎明がないとして却下された。

他方、相手方県は、その後も、本件工事を続行し、平成元年三月末には、本件工事のうち、別紙工事目録記載の建物の建設工事については、前記検査棟を除き、付帯工事も含めてすべて完成させたが、用地取得の遅れた進入路工事、本件予定地の舗装工事及び排水用パイプ敷設工事並びに相手方県が独自で建設を予定している右検査棟の建設工事等は未だ完成していない。

二  右認定の事実によれば、相手方県は、抗告人に対し、本件計画に関する話し合いの申し入れをするにあたって、抗告人の求めに応じ、本件申し入れ書をもって、右話し合いをするについての相手方県としての基本的考え方を提示するとともに、誠意をもって話し合いを進め、合意に達するまでの間の本件工事を中止する旨の意思表示をし、抗告人は、本件回答書をもって、相手方公社も相手方県と同一の立場であること及び相互に一方的な話し合いの打ち切りを行わないことを条件にして、相手方県の基本的な考え方及び右意思表示を了承する旨の回答をし、そのころ相手方らは抗告人から出された右条件を承諾したのであるから、抗告人と相手方らとの間には、抗告人と相手方らとは本件計画について誠意をもって話し合い、相手方らは、合意に達するまでの間、本件センター建設工事は中止する旨の本件契約が成立したものというべきである。

ところで、本件契約においては、相手方らが本件工事を中止する期間の終期については「合意に達するまで」とあるだけで、他にその終期につきなんらこれを制約する文言もないし、右以外のどのような事由によって相手方らの本件中止義務が消滅することとなるのかについて抗告人及び相手方らとの間で話し合われた形跡はないので、相手方らは、抗告人との話し合いの存続の有無にかかわらず、当事者間に本件計画につき何らかの合意が成立するまでは無期限に同工事を中止していなければならない義務を負担したものと解されないではないが、本件契約は、抗告人及び相手方ら間が本件計画に関する話し合いを再開するにあたって相手方県の申し入れを契機としてなされたものであり、かつ、抗告人及び相手方らとも、話し合いによって円満な解決を図ることを目的とし、誠意をもって話し合いをすることを約束し合った合意の一環としてなされたものであるから、本件契約もそのような目的を達成するための合意と位置付けられるべきものであり、したがって本件契約は、本件計画に関する相手方らと抗告人とが右目的を達するために誠意をもって話し合いを継続している間の暫定的な本件工事の中止義務を定めたものであって、同中止義務は抗告人と相手方らが誠意をもって話し合いを進めている過程またはその終了の時点において、本件計画の推進または廃止あるいは中止につき合意が成立した場合は当然として、抗告人と相手方らの間に本件計画の推進または廃止あるいは中止について何の合意にも達することができないまま話し合いが終了した場合にもまた、消滅するものと解するのが相当である。けだし、もし本件契約の文言にとらわれて、話し合いが本件計画に関して何の合意ができないまま終了した場合においても、同中止義務だけは「合意に達していない」との理由で永続するものとするのは、相手方らが本件センターの建設を前提として話し合いの申し入れをしていること及びそのことは抗告人も承知しながらこれに応じたこと等の本件契約のなされた前記認定の経緯に照らして本件契約の当事者の合理的な意思に沿わないだけでなく、かくては相手方らの本件計画の成否は抗告人が合意するかどうかという全く抗告人の任意の意思(抗告人は相手方らのいかに合理的な提案でもこれを受諾する義務を負うわけではない)のみに依存することになるという、相手方らのおよそ予期していなかった結果となり、到底妥当とはいえないからである。

従って、相手方らは、本件契約に基づき、抗告人に対し右の趣旨範囲での本件工事の中止義務を負担し、抗告人は、本件契約に基づき、同中止義務に違反する相手方らの行為につき差止め請求権を取得したものというべきである。

三  相手方らは、本件契約が法的に有効な契約として成立していない、仮に本件契約が法的に有効な契約として成立したとしても、本件契約の効力の消滅等により、相手方らが昭和六三年四月から本件工事を再開したことは本件契約に違反しない旨の主張するので、既に認定説示したところによりその採用できない所以が明らかとなっている点を除き、以下に検討を加える。

1  本件契約は紳士協定であるとの主張について

なるほど、本件契約に関する条項は本件申し入れ書の一条項であるところ、本件申し入れ書は、その冒頭に「と畜場建設反対同盟と話し合いに臨むにあたり、県としての考え方は下記のとおりであります。」と記載されていて、右冒頭記載に次いで相手方県としての考え方を列記する体裁となっているし、その第一項は相手方県の本件計画の施行に関しての住民に対する遺憾の意の表明と抗告人に話し合いを申し入れるにあたっての相手方県の姿勢もしくは認識を表明するものであり、第二項は相手方県と抗告人との再度の話し合いの目的について言及した内容のものであって、いずれも相手方県としての見解ないしは基本的な姿勢の表明といったものにすぎないし、第四項も話し合いで合意したことを必ず遵守するというすこぶる当然のことを内容とする精神条項ともいうべきものであって、右第一、第二及び第四項によって、相手方県が新たに具体的な義務を負担することになるものとは解されないから、第三項である本件契約条項も、右各項と同様に、右冒頭の記載にいう「相手方県としての考え方」の一内容として、相手方県としての右話し合いに臨む誠意表明にすぎないものであって、抗告人に対し法的な義務を負担する意思まではなかったものといえそうである。

しかしながら、本件契約条項のうち「合意に達するまでの間、食肉流通センターの建設工事は中止します」との部分は、相手方県が対立する立場にある抗告人に対し明確に特定された行為の不作為を約束したものであって、この約束に基づいてその履行を法的に訴求することが可能な程度の具体的な内容を有するうえ、相手方らが抗告人に対し本件工事の中止を約束したのは、抗告人から、相手方県の申し入れた話し合いに応ずるための必須の前提条件として要求されたためであり、しかも、本件契約条項が本件申し入れ書の第三項の表現となるまでには相手方県が抗告人の要請に応じて別紙一の書面を提出してから三度にわたって字句の訂正をしていることなど、前記認定の本件申し入れ書作成等の経緯に徴すると、本件契約の当事者である抗告人及び相手方らが本件契約条項をもって法的拘束力のない単なる取り決めあるいは紳士協定であるとの意思もしくは認識のもとに本件契約を締結したものとは到底認めることができない。

2  本件契約は相手方らにつき契約締結権限を有するものによって締結されていないとの主張について

本件契約は、相手方県及び相手方公社において代表権を有する知事または代表理事によってではなく、相手方県の農林部長の地位にあるとともに相手方公社の常務理事の地位にある清水徹によって締結されたものであることは前記認定のとおりであるが、同人は相手方県及び相手方公社の代表者から委任され、その承認のもとに、抗告人との間に本件契約を締結したものであることも前認定のとおりであるから、本件契約は相手方らとの関係でも有効に成立したことは明らかである。なお、地方自治法第二三四条第五項は普通地方公共団体の締結する契約につき契約書の作成が予定されている場合の契約の確定(成立)についての規定であるから、本件申し入れ書のほかに特に本件契約に関して契約書の作成が予定されていたことにつき疎明のない本件においては、本件契約に関し相手方らの主張の契約書が作成されていないことの故に本件契約の成否が左右されるものではない。

3  本件契約の期限の到来による失効等の主張について

本件契約による工事中止義務の消滅事由に関する当裁判所の判断は前記二に説示のとおりであり、本件契約による本件工事中止義務の消滅に関する相手方らの主張のうち、右説示に反する相手方らの主張は採用できない。

なお、相手方らは、相手方らが相当な期間誠意を尽くして話し合いをし、合意に達するよう努力し、さらに話し合いを続けても合意に達する見込みがなかったので、本件工事の再開に踏み切った旨主張する。しかし、抗告人の本件話し合いにおける姿勢・態度には、相手方らの従前の本件計画の施行に対する非を鳴らすに急なあまり、本件計画に関する相手方らの説明に謙虚に耳を傾ける姿勢に欠ける点のあったことは事実であるが、本件計画に対する抗告人の立場と相手方らのそれとは当初から全く相反しており、かつ本件話し合いに至るまでの長期間鋭く対立してきていたのであるから、抗告人が右のような態度・姿勢をとり、そのために相手方らが予定していたようには話し合いが進捗せず、本件話し合いが相当長期間継続することとなってもある程度はやむを得ないものというべきであるにもかかわらず、相手方らが当初話し合いを予定していた五項目のうち三項目についてほとんど話し合いがなされていない段階で、前記のとおり本件工事を再開するに至ったのは、抗告人の右のような態度・姿勢を考慮しても性急の感を否めず、従って、相手方らにおいて相当期間誠意を尽くして話し合いをしたとは評価することは困難である。また、抗告人は、従前より本件計画の白紙撤回を要求し、それを運動の目的としてきた団体であり、相手方らはそのことを十二分に承知の上で本件話し合いを開始したのであるから、抗告人が本件話し合いの開始された後になって、改めてその総会において本件計画の白紙撤回を決議したからといって、抗告人との本件話し合いにつき、合意に達する見込みはもとより、もはや話し合いの余地もなくなったということはできない。

4  詐欺による取消の主張及び権利濫用の主張について

抗告人と相手方ら本件計画に対し相容れない立場をとっていたこと、及び相手方らはそのことを承知の上で本件話し合いに臨んでいたものであるから、抗告人の代表者に相手方主張のような発言があったとしても、それは話し合いによって納得がいけば従来の態度を修正または改めるとの一般的な意向の表明程度のものというべきであり、右発言を抗告人がこれによって将来本件計画に同意することのあることを示唆して相手方らを欺罔するためにしたものと観ることはできない。

また、本件契約による工事中止義務の消滅事由に関する当裁判所の判断は前記二に説示したとおりであって、抗告人と相手方らとが本件工事について合意に達しない限り、右義務が無限に存続することを前提とする相手方らの権利濫用の主張はその前提を欠くし、本件契約に至った経緯等本件記録に顕われた諸事情を考慮しても、抗告人が本件契約に基づいて本件工事の中止を要求していることをもって権利の濫用とすることはできない。

従って、相手方らの右各主張はいずれも採用することができない。

四  以上によれば、相手方らは抗告人に対し本件契約に基づき前記内容の工事中止義務を法的に負担するものというほかないところ、相手方らは、本件話し合いの当初において抗告人主張の五項目について資料の提供及び説明を約し、かつ時間的な制約を理由としての話し合いの打ち切りをしないとの抗告人の要請を了承しながら、本件計画の推進または廃止あるいは中止についての合意は勿論、未だ右五項目中の三項目についての話し合いもほとんどなされていない昭和六三年二月の段階で、本件工事を再開しこれと並行して本件話し合いを続けたい旨抗告人に申し入れたうえ、抗告人の反対にもかかわらず同年四月から本件工事を再開して続行するに至ったのであるから、相手方らが本件契約に違反していることは明らかである。

しかしながら、本件工事のうち別紙工事目録二の(一)及び(二)の(1)ないし(8)記載の各建物の建設工事はそれ自体として一応各独立したものと認められるところ、同目録二の(一)及び(二)の(1)ないし(3)、(5)ないし(8)記載の各建物の建設工事はその付帯工事を含めて既に完成していることは前記一に認定したとおりであるから、完成済みの右各建物の建設工事については、右各建物が完成した状態で存続している限りは、もはやその続行禁止すなわち差止めを観念する余地はない。従って、本件仮処分申請のうち完成済みの右各建物の建設工事に対する差止めを求める部分は、右の理由により失当というほかない。

五  そこで、本件工事のうち既に完成している右各建物の建設工事を除いた未完成部分の工事(主として、前記検査棟の建設工事及び敷地の舗装工事並びに進入路建設工事)に関し、その差止めの必要の有無について検討する。

抗告人は相手方らに対し、本件契約により、前記のとおり相手方らが本件工事の続行をしないことを内容とする不作為請求権を有するのであるが、相手方らが本件契約に違反して本件工事を続行してこれを完成させた場合には、その結果が存続する限りは、右不作為請求権は、それに基づく差止め請求権の形態においては行使できなくなり、現実にも本件工事のうちのほとんどの建物につき完成済みのため差止めの余地がなくなったこと前記のとおりであるところ、他方本件契約に基づく本件工事の中止義務(右不作為義務)の存続期間に関する前記説示及び前記認定の諸事情を前提とするときは、相手方らが右中止義務に違反してした工事結果の除去を求め得るかには大きな疑問があるから、相手方らが本件工事を続行している本件においては、本案訴訟による解決を待っていては抗告人がその有する右不作為請求権の権利内容を享受できなくなるおそれがあるうえ、抗告人が相手方らの右不作為義務の不履行による損害賠償請求権を取得したとしても、その行使には損害の範囲・損害額の算定等困難な問題が予想され、その実効性には甚だ疑問があることを考慮すると、抗告人が本件契約に基づいて有する右不作為請求権の権利としての実効性を確保するため、現時点においては本件工事の大部分が既に完成しているが、なお未完成工事部分につき仮に差止めを命ずる差し迫った必要がある。

相手方らは、抗告人が本件工事を差し止められないことによって被る損害は客観的には皆無であるのに対し、相手方らは本件工事の差止めにより甚大な損害を被る旨主張するが、抗告人の有する本件契約に基づく差止め請求権が本案訴訟による解決までの間の相手方らによる本件工事の続行と時間的経過によって画餅に帰してしまうことそれ自体が権利を有するものにとっての最大の損害であるというべきであり、このような場合にその差止めを求めるにはそれ以上に具体的な損害の存在を必要としないものというべきであるし、相手方らが差止めを命じられる工事部分は本件工事の一部にすぎないうえ、差止めの期間も後記のとおり限定されるべきであるところ、相手方らが右程度の範囲及び期間本件工事のうち未完成部分につき工事を差し止められた場合に被るであろう具体的な損害については的確な疎明がないし、相手方らが右程度の工事の差止めによってその主張する程に大きな損害を被るとは当然には推認し難い。

従って、本件工事のうち未完成部分については、被保全権利の存在及び保全の必要性を肯定することができる。

もっとも、本件契約は、前記説示のとおり、本件計画の廃止(本件工事に即していえば、本件工事の永久的な中止)を内容とするものではなく、本件計画に関する相手方らと抗告人とが本件計画について誠意をもって話し合いを継続している間の暫定的な本件工事の中止義務を定めたもので、右中止義務は抗告人と相手方らが誠意をもって話し合いを進めている過程またはその終了の時点において、本件計画の推進または廃止あるいは中止につき合意が成立した場合のほか、抗告人と相手方らの間に本件計画の推進または廃止あるいは中止について何の合意にも達することができなかった場合においても、消滅するという、本件工事の一時的暫定的な中止(不作為)を内容とするものであるから、相手方らにおいて、抗告人との間で話し合うことを約束した前記五項目のうち未だほとんど話し合いのなされていない教育環境破壊問題、公害問題及び経営問題について、更に相当期間をかけて誠実に話し合って抗告人との間に合意が成立するよう努力した場合には、仮にその結果において抗告人との間に本件計画に関し合意が成立しなかったとしても、相手方らは右のような意味での話し合いの終了により本件契約による拘束から解放され、本件工事の再開・続行をなしうる地位を回復するものというべきであるところ、前記一に認定した話し合いの経過、話し合い対象として残された問題とその性質等本件に顕われた諸般の事情を勘案すれば、相手方ら及び抗告人とも、双方の立場の相異を十二分に弁えて誠実に話し合いをするときには、残された問題についての話し合いに必要な期間としては平成二年二月末日までをもって相当であると一応認められるので、保全の必要性の観点から前記差止め期間を同日までに限ることとする(なお、同日までに相手方らの責めに帰すべき事由により右話し合いが終了しない場合には、本件契約に基づく相手方らの本件工事についての中止義務がなお存続することとなることは前記説示に照らし多言を要しない。)。

従って、抗告人の本件仮処分申請は、本件工事のうち未完成部分につき、相手方らに対し(但し、前記検査棟については相手方公社を除く)平成二年二月末日まで(同日までに、抗告人と相手方ら間に本件工事についての話し合いが合意に達した時は、その時まで)本件工事の続行を仮に差し止めることを求める範囲で理由があるというべきである。

六  以上によれば、抗告人の本件仮処分申請(当審において拡張した分を含む)は、本件工事のうち既に完成した前記各建物の建設工事に関する部分については失当として却下すべきであるが、未完成部分については右の限度で保証を立てさせないでこれを認容すべきである。

第四  結論

よって、右と結論を異にする原決定を右の趣旨の下に変更し、原審及び当審の手続費用は相手方らに負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 中川臣朗 裁判官 緒賀恒雄 裁判官 長門栄吉)

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